世田谷線に乗って松陰神社まで行ってきた
前回の記事では松陰神社前駅近くにある、かき氷屋さん「かしや」を紹介しました。
前回の記事はこちら。
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今回の記事は、いよいよ目的地の松陰神社に行ってきた話。
松陰神社は名前の通り、吉田松陰を祀っている神社です。
吉田松陰は松下村塾という、私塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など幕末に活躍した人を多く輩出しました。
何年もやっていたようなイメージがありますが、わずか2年ほどしか開塾していなかったようです。その間に約90人の人が松下村塾で学んだとか。
吉田松陰自身は30歳で亡くなります。若い・・・
なんとなくうろ覚えではあったのですが、実際に再現されている松下村塾や吉田松陰のお墓を見ると、その壮絶な生涯と大きな実績に圧倒されました。
祝日ですが、その日は人もまばらで落ち着いた感じ。
のんびりお参りができそうでした。と言っても、息子は遊ぶのに夢中で、なかなかこちらはのんびりさせてもらえなかったですが(笑)
子供向けにけん玉や、コマなど昔の遊びができるような小さな机も用意されていて、子供も楽しく遊べるようになっていました。
神社の右脇には松下村塾の再現された建物が。
そして、左脇には吉田松陰のお墓に向かう小道がありました。
松下村塾は山口県にあったのですが、吉田松陰のお墓は東京にあったのですね。
松下村塾では何を教えていたのか?
松下村塾では身分に関係なく、意欲のある若者に教育をしていたといいます。
では、実際のところ松下村塾では何を教えていたのか?
凄い人をたくさん輩出したというけど、何を教えていたんだろうと疑問に思いますよね。
学生のときに習ったのかもしれませんが、正直あまり記憶にありません。
日本と外国との違い(世界史のようなもの?)であったり、道徳的なことは教えていたようなことが、松陰神社の案内には書いていました。
調べてみると、それに限らず多岐にわたる分野を教えていたようですね。
しかも、教えるというより、一人ひとりが違う教科書で勉強することもあったり、塾生同士での討論の時間も多くあったりと、実践的な学びをしていたようです。
そして、塾生一人ひとりの強みを伸ばしていけるような教育方針であったとのこと。
それは現代にも通じる、むしろ今の時代にこそ役立ちそうな教育方針のようにも感じます。
松下村塾のような私塾が現代にもあれば、日本も良い方向に変わっていきそうですよね。
わずか2年たらずで、多くの人と明確なビジョンを共有できる場を作ってきた吉田松陰。本当に凄い。